政治家として
望ましい人物像とは
今回は政治家として望ましい人物像を考えてみます。
政治家に求められる資質について、たとえば20世紀初頭の社会学者マックス・ヴェーバーは、次のように言っています。
- 政治家に特に必要な資質は、情熱、責任感、判断力の3つである。
- 結果を出すことを冷静に第一に考えることができる人間のみが、政治を天職とすることができる。
- 政治家が取り組むべき「事柄」は、個々の政治家の信条の問題である。
ヴェーバーが示した資質は、どちらかといえばどんな職業にも当てはまるもので、「良い政治家」の条件とはあまり言えません。
もう少し時代をさかのぼって、フランス革命直前の哲学者ジャン=ジャック・ルソーの、政治家についての論を見てみましょう。
ルソーの論で重要なのは「一般意思」です。
一般意思:
一般意思とは、国王や政府の意志ではなく、各個人の意志を集合させたものでもありません。人々がフェアな関係のうちで共通の利益、つまり公共の幸福(自由と平等を社会的な水準で両立させること)を意識的に目指すことによって、次第に深まり形を成していくものです。この結果作られる国家をルソーは「共和国」と呼びます。「各人が相互に自由で平等であるような社会」が希求されるからです。
ルソーによれば、良い政治家とは、この「一般意思」を実現するための主権者の代理人であるべきだ、といいます。また正当な投票制度が確立している場合にかぎって、選挙で一般意思は表明されることができる、としています。
さて、日本でも明治時代に「国会議員の資質」について論じた評論家を見つけたので、ご紹介しておきます。
- その1「政治経済の学問を修め、その知識に富んだもの」
- その2「政治上の主義を有し、その履歴あるもの」
- その3「地方の実況を詳らかにし、常に公共の事業に尽力するもの」
- その4「内外の事情を知得したるもの」
- その5「剛毅心あり訥弁ならざるもの」
- その6「廉潔心あり金銭に惑わざるもの」
- その7「議員の手当を待たず、相当の生活をなし得られる財産あるもの」
- その8「信義に厚く正直なるもの」
これは、制限選挙である明治の衆議院議員総選挙がおこなわれた1890年に書かれた本で論じられたそうです。今とは状況がだいぶん違うとはいえ、権力や金銭に惑わされずに信念をもって全体の利益を追及するべきだという、大野清太郎さんの指摘は、今にも通じるように思います。
最後に、私個人が考える「政治家の最低条件」を挙げておきます。ご参考程度に。
- ・弱者の立場をおもんぱかることができる人
- 世襲の政治家が多いですが、貧困や差別など経験がなさそうです。せめて想像力がほしいところ。
- ・反対者をふくめ他者の話を聞く力がある人
- 反対者とも建設的な話し合いをして、より良い政策を作り上げるのが政治家の手腕だろうと思います。
- ・デマに流されず公正な判断ができる人
- 最近はネットでデマが広まっていることも珍しくありません。効果的な政策は、まずは正確な情報収集から。
たとえば最近DV加害者が虚偽DVだとか実子連れ去りだとか言い出しているのを、真に受けた政治家が出てきています。 - ・詐欺師ではない人
- 自分の利益のために有権者をだまして、あるいは「やってる感」を演出して、当選を狙う人は、論外です。
- ・正当防衛以外の暴力を許さない人
- 暴力を許す人は論外です。先制攻撃もダメです。対立が起こったら、まずは状況の把握、次に対話で解決を探りましょう。
- ・企業ではなく個々人の生活の底上げを目指す人
- 「景気が上向いた」と言いますが、ブラック企業、ワーキングプア、子ども食堂、奨学金で破産、などなど、庶民の生活は楽ではありません。もっと生活に注目する政治家が必要だと思います。
